第160回芥川賞受賞、上田岳弘さんの『ニムロッド』を読む。
よく「ビットコイン小説」「仮想通貨小説」という紹介をされているが、仮想通貨について何も知らない私のような読者でも大丈夫、作中で語られる仮想通貨の仕組みについて「ふむふむそういうことなのか」と手探りで触れながら読めた(仮想通貨の仕組みを知るということが主眼じゃないし)。
生産性を追求した結果、個がなくなって全体に溶けてしまう、そういう社会のことが書かれている。舞台はいま現在の東京で、IT企業で仮想通貨の採掘を担当する主人公、外資系企業でばりばり働いているその彼女、主人公の先輩で小説を書いている荷室。文章は淡々としていて乾いている感じ、そこから受ける小説全体の世界観も、淡々としてドライで無機質な印象だった。人間ひとりひとりにそれぞれの悩みやトラウマやドロドロした思いがあるのに、社会全体はクールにシステマチックに進んでいく。それはもう個人の意志とは別の大きな流れとして起こっていることで、誰にも止められないのかも。
作中で荷室が書く小説に、莫大な資産をもちすべてをかなえられる人間の王・ニムロッドが登場する。高い高い塔に住み、屋上に古今東西の「駄目な飛行機」をコレクションしているニムロッド。彼がいるのは少し先の未来でフィクションの世界だけれども、よき人間、よき社会を作ろうとして行きついたはずなのに私にはとても暗く虚しく感じられる未来像なのだった。
主人公の彼女、田久保紀子は仕事のできる人で、大手企業で大プロジェクトを担当し、海外出張をこなし、仕事の日は自宅ではなく都内のハイクラスなホテルに泊まるようなキャラクター。その紀子についてこんな文章がある。
克服可能なトラウマを抱えた、けれど本質的な強度を備えた女性。田久保紀子。不器用で貧乏であるために、世の中に振り回されて日常生活の些細な達成に喜びを見出すしかない人々とは一線を引いている。でも無神経ではない。
これを読んで私は、「些細な達成に喜びを見出」してもいいじゃない、と思った。不器用で、貧乏で、世の中に振り回されて、でも日常にちょっとした喜びを見つけられるという生き方、全然悪くないよ。
仮想通貨のつかみどころのなさ、得体の知れなさ、通貨の価値が上下する脇で人間が置き去りになっていくような不安が横たわる世界にあっても、個人個人にその人なりの喜びや達成感があってほしい。他の誰とも代えられない思いや価値観をがあってほしい。その価値観を誰にも否定されることのない社会であってほしい。そんなことを強く思った。
強く思ったところでまた突き刺さる、紀子のせりふ。
それともまさか君、自分が取り換え不能だとでも思っているの?
あー、恐ろしい!!