旅と日常のあいだ

石川県発、近場の寄り道から海外旅行まで。見たもの、食べたもの、面白いことの共有。


京都・安井金毘羅宮にて、縁を切ったりつないだり

京都ぶらぶら歩き、ハーブスのケーキとふんどしの話(記事はこちらです)に続いて友人Mちゃんが「すごい神社がある」と連れて行ってくれたのは、安井金毘羅宮。

Mちゃんいわく「縁をとりもつ神社」。安井金毘羅宮の名を聞くのは初めてで、しかし京都にたくさんある寺社仏閣のすべてを覚えているはずもなく、行ったことがあるのに忘れているだけかもしれないと言ったら、「いや、あの神社に一度でも行ったら絶対に忘れるわけがない!」と力強く返された。さらに「作りものではない“気”が充満してるよ、人間のいろいろな面が垣間見える場所だから…」とMちゃん含み笑い。一体いかなる場所なのか、わくわくそわそわするうちに到着。 

f:id:lovestamp:20180517120502j:plain

そう広くない境内に、ちょっとびっくりするくらいの人の列。行列の先にあるのはお札のような白い紙がびっしりと貼られたオブジェ(?)的なもので、お札のびっしり具合にも目を見張ったし、何よりもそのオブジェの特徴は向こう側に貫通する小さな横穴が空いていることで、自分の順番が来た人はやや神妙な面持ちで身をかがめて寝そべるようにしながら横穴をくぐり、そして反対側からまた穴を通って戻ってくるという光景の不思議さといったら。

Mちゃんは語る、「良縁をつなぐためにはまず自分のまわりの悪縁を断ち切る必要がある。あの穴をくぐりながら悪い縁を切って、穴を戻りながら良い縁を引き込むという、そのための行列やね。でもまあここはそれくらいにして、真骨頂はこの奥」。

砂利の上を進んだ先に絵馬のかかった台があった。絵馬を見るのって楽しいよね、他人の手帳を覗きみるような背徳の気持ちもありつつ(大っぴらに公開しているわけだから見ちゃいけないっていうルールではないと理解しているが)、めちゃくちゃにスケール壮大な夢とか、ごくささやかな願い事とかを目にしながら、基本的には「みんなの祈りが届きますように」と思う。

しかし、ここの絵馬は様子が違った。Mちゃんが「ほら」と指差したものを見ると、「私からAさんを奪ったBが、今後Aさんと別れますように、Bはその後の人生でひとつの幸せも訪れず、一生苦しんで苦しんで絶望して孤独のうちに死にますように」みたいなことが書かれているではないか。しかも苦しみの対象者Bは、実名のフルネームで晒されているのである。思わず「ひっ」と声が出た。何このデスノート、呪いの絵馬。

ドキドキしながらまわりの絵馬に目をやれば、ほかもそんな内容ばかり。「息子を狂わせたC子は最低の悪女、息子との縁を切った上でC子が二度と誰からも相手にされず不幸になるように」「○○県△△市在住、19××年×月×日生まれのDに悪いことがたくさん起こりますように」。いやああぁぁあああ、怖すぎる。あれもこれも実名で個人情報もろ出し、これって神社的にはOKなんだろうか。中にはもちろん呪い要素の少ないものもあって、「人の縁、仕事の縁に恵まれますように」というような、私が神様だったらこういう真っ当な人の願いこそを一番にかなえてあげるよ!って思う絵馬もあってホッとしたりしたんだけど、この神社の効能(?)である「悪縁切り」っていうのがね、縁を切るだけでは飽き足らずさらに思いつく限りの絶望が降りかかりますようにっていう祈りにすり替えられているようで、絵馬を見ながら暗澹たる気分になったのであった。

ここまであからさまな負のパワーを外に出すってなかなかできないわ。同時に、自分にはまだそこまで黒い気持ちはないようで良かったなとも。「ね、一回来たら忘れないでしょ」とMちゃん、確かにね。

今年初めての神社詣でなので、ここでおみくじを引いて一年を占うことにした。運勢は中吉。ここならではのお告げとして、こんな記述が。

f:id:lovestamp:20180517120551j:plain

25%って、単純計算で「4人に1人は悪い縁」だとしたら多すぎる気がしたけど、人だけじゃなくてお金や仕事も含めた自分の周りのあらゆるつながりが「縁」だとして、全体的に100点満点のうち75点って考えればぜんぜん悪くない。おみくじはそっとお財布に入れて持ち帰った。

帰り際にMちゃんが、「心身が疲れたときにはお灸がいいよ、私は自分でやってる」と言い出した。自分でお灸。どこまで好奇心旺盛なんだろうか、素敵すぎるし好きすぎる! Mちゃんとの良縁度、200%。

f:id:lovestamp:20180517120616j:plain

夕暮れの賀茂川。